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今日、必要なもの

説教要旨(6月18日 花の日・子どもの日合同礼拝より)
ルカによる福音書 12:22-32
牧師 藤盛勇紀

 いま教会学校では、主の祈りを順に学んでいます。今日の箇所は、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」です。
 神様、私たちに必要な食べ物を今日も与えてください。この祈りは、あなたにとって真剣な祈りでしょうか。食べる物がなくて困ることはないでしょう。むしろ、どんな美味しいものを食べたり飲んだりしようかと考え、せいぜい健康くらいが問題なのかもしれません。でも、何のために食べ、何のために生きているのでしょうか。
 「日用の」という言葉は、主の祈りにしか使われていない珍しい言葉なので、いろいろな意味が考えられていますが、私たちが生きるのに「本当に必要な」ということだろうと考えられています。
 「本当に必要なもの」をあなたは持っていますか? そもそも「あなたに本当に必要なもの」って何でしょう? 分からないから、何を食べようか何を飲もうかと心煩わせ、何を着ようか何をしようかと、結局は本当には必要でないもののために思い悩んだりしているのではないでしょうか。
 イエス様は繰り返し、「思い悩むな」と言われます。食べ物や着る物のことだけではありません。「それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ」とありますから、どんな国の人でも、人間なら誰でも思い悩むことです。それが大事なことだったり必要なものだから、悩むのでしょう。
 でも、イエス様はおっしゃいます、「あなたがたの父は、これらのものがあなたに必要なことをご存じ」なのだ、だから悩むな。私たちに必要なもの、それは私たち以上に、神様がよく知っておられるのだと。イエス様が弟子たちに祈りを教えられた時にも言われました、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」。だから、あなたがたは「ただ、神の国を求めなさい」と。
 主の祈りでこうも祈ります、「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」。神様の御心がこの地上、この世界に行われますように。私たちが生きるこの世界は、神様がお造りになった世界です。この大切な世界が、神様に愛され恵まれたものとしてあるように、守り、生かし用いる。その働きを、神様は人間にお委ねになりました。そして、神様はいつも私たち人間を用いて働かれるのです。
 だから神様は、私たちが祈り求めることを待っておられるのです。祈り、求め、願う私たちを神様は喜んで用いて、御心をこの世界に行ってくださいます。そのように私たちが神様に用いられて、喜んで生きるところに、神の国が現れてくるのです。イエス様がおっしゃったように、神の国がもう始まっているのです。
 でも、まるで神様がいないかのように自分だけで「どうしようか、ああしようか」と悩んでいたら、神様の愛も恵みも神の国も分からないままでしょう。あるいは、「私はもう食べ物がいっぱいあるから、祈らなくていいや」となって、祈ることもしなかったら、食べ物に困っている人たちがいたとしても、困ったままかもしれません。
 神様はあなたを通して働いてくださるのですから、自分のことで悩むよりもまず、「神の国を求めなさい」と、イエス様はおっしゃるのです。そしてこう言われます、「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父はよろこんで神の国をくださる」。小さなあなたたちを、父なる神様は喜んで用いて、「神の国」をくださるのだから、あなたがたに神の国が現されるように祈りなさいと。
 神の国はもう来ています。イエス様と一緒に、神様を父と呼ぶ私たち神の子たちがいるから分かります。神の国がもっと分かるように、父なる神様に祈って、希望をもって求めましょう。神様は、私たちが今日も祈ることを待っておられます。