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恵みの伝統

説教要旨(7月16日 朝礼拝より)
ガラテヤの信徒への手紙 2:1-10
牧師 藤盛勇紀

 教会の迫害者だったパウロがキリストと出会い、福音伝道者となった。この文字通り180度の方向転換は、大変な衝撃をもって受け止められました。しかしパウロ自身、福音を伝えるために劇的な回心の経験や感動的な話や、知恵や哲学を用いませんでした。パウロの語る福音が力を発揮したのは、福音そのものであるキリストが生きて働いてくださったからです。
 パウロは、「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」(1:12)と言いました。また、ペトロのような使徒たち、教会で重んじられる人たちのことを、「それは、わたしにはどうでもよいことです」と、大胆に言い切ります。もちろん、パウロも人から伝えられ、導かれたのです。しかし、福音を聞いて信じた今、そのことを一切語りません。キリストご自身が語りかけ、生かし用いて下さっているからです。この、私たち一人ひとりに語ってくださる生ける主の御言葉、その福音とそれを宣べ伝える伝道こそ、教会を立てもし倒しもする、唯一の真実な、生きた教会の伝統です。それ以外のものは全て、いつか現れいつか消えてしまうものです。
 ところが、ガラテヤの教会には大きな問題が生じていました。ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の対立です。一方に、ユダヤ人の伝統に従って律法や割礼を重んじる人々、他方、ユダヤの伝統や聖書の律法など知らずに生きてきた異邦人教会があります。同じキリストの教会でも生活習慣が違い、文化が違い、生活スタイルも違う。それで互いに誤解を生み、争いにもなりました。
 「これぞ伝統」と思っている人が、それが「信仰にとって必要不可欠」と考えてしまうと、それは教会破壊的な力になります。エルサレム教会もそれで混乱し、いまガラテヤ教会も揺さぶられているのです。
 しかし教会には、はるかに大切なことがあります。「割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられた」。これです。ペトロに働きかけ、パウロに働きかけ、代々の聖徒たちに働きかけられたお方は、今この私に働きかけ、新しい命を与えてくださっている。この方の命なのです。
 この命とそれを証しする言葉が、主イエスから使徒たちへ、伝道者たちへと委ねられ、私たちに委ねられています。これがキリストの恵みの伝統です。
 とくに私たち改革教会が教会の「しるし」として重んじてきたのは、「キリストの福音が正しく語られること」と「洗礼と聖餐の聖礼典が正しく行われること」です。これが私たちをキリストに結び、生かし、一つの教会とするからです。それをそれぞれの地域や時代によって表し、不断の祈りと改革が続けられてきました。それが教会の伝統なのです。
 9節にこうあります、「彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました」。ユダヤ人と異邦人の壁は、救いに関わる最大の壁でした。しかし、全く伝統を異にする両者が、共にキリストの命に与って一つとされたことを確かめ合ったのです。私たちの主なる神は、主イエスの十字架による完全なる罪の赦しと、新たな命に与らせてくださいました。この恵みにおいて、私たちは共に、神の子とされている真実を知ります。主は世の終わりまで私たちと共におられ、私たちのこの地上の生が終わっても、なお私たちはこのお方に結ばれて神の命に生きています。この恵みの事実、霊的な現実は、現在にいたるまで伝えられ、代々の聖徒たちが与ってきた生きた恵みの伝統なのです。