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神の相続人

説教要旨(10月15日 朝礼拝より)
ガラテヤの信徒への手紙 4:1-7
牧師 藤盛勇紀

 この直前の箇所でパウロは、キリストに結ばれた者は皆、すでに神の子らであり、祝福の基であるアブラハムの子孫であり、神の約束のものを受け継ぐ相続人だと語りました。しかし続けて、「相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました」と言います。
 それを、「律法の支配下」にある者なのだとも言います。つまり、人間の力や正しさや可能性によって神に向かって上昇し得ると考えるような生き方です。しかしそれも結局、この世の「諸霊に奴隷として仕えて」いることだというのです。「諸霊」とは訳しにくい言葉ですが、人を支配し惑わす様々な考え方や教えや思想であり、私たちの頭の中にがっちりと足場を固めていて、私たちの思いを左右しているものです。
 これは現代に生きる私たちのことでもあります。そうしたこの世や人のことを、ヨハネは「暗闇」と言いました。しかもそこに、真の光であるお方、神の御子が来られたのに、人々は「光よりも闇の方を好んだ」のだと。そして、人々は御子イエスをボロ雑巾のように見捨てて忌み嫌い、十字架につけました。しかし、あの十字架の主イエスのお姿は、神を捨てて闇の方を選んだ私たち自身の姿なのです。その私たちに代わって、真の光である神の御子が裁きと死と滅びを負ってしまわれたのだと、聖書は語ります。
 それは、私たちに何か良いところがあったからでも、どこか見込みがあったからでもありません。私たちの側の何かによるのでなく、神は愛なるお方だから、神に背を向けた私たちを愛してくださり、死と滅びでなく命へ戻ることを願われるのです。その道も、神ご自身が備えてくださいました。
 そして、神がよしとされた時に、独り子を世にお与えくださいました。私たちがこの御子イエス・キリストを信じて結ばれる時、諸霊の奴隷として生きていた時の空しさが分かってきます。このお方によって、自分が解放されて、真の命に自由に生きる道に移されたことが分かるのです。
 そして、その時は「今」なのです。私たちに必要なことは全て備えられ、すでに完了しています。だから、私たちが信じて受け入れる時は、いつでも「今」なのです。
 パウロは、「あなたがたが子であることは、神が『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、私たちの心に送って下さった事実から分かります」と言います。「アッバ」とは子供が最初に覚える言葉の一つで、「お父ちゃん」とか「パパ」のような言葉です。神をこのように呼ぶ心を、神の霊、聖霊が私たちに与えて下さっています。聖霊は「あなたの神は『アッバ』とあなたから呼ばれるあなたの父なる神なのだ」と教えて下さいます。「あなたが父なる神を忘れてしまっても、父はあなたのことをほんの一瞬だって忘れたことはなかった。あなたがいつでも帰ってこられるように、あなたの父は全てを準備しておられた。あなたが帰って来るためなら何を失ってもいい、それほどまでにあなたの帰りを待っていた。そして一番大事なものさえ犠牲にしてしまわれた。あなたは今までいろいろなものに仕えてきた。悪い人に騙されもした。自ら奴隷ともなって自分から仕えたこともあった。痛い目にもあった。でもあなたは、真実を知らないまま、頼りないものに頼って生きてきた。でも、もうそんな生き方は、今日で終わりにしてよいのだ」と。
 今の世が諸々の霊の支配によって暗く見えたとしても、万物の主である神、私たちの命の主であられる神は、私たちの想像をはるかに超えた備えをすでに完了しておられます。それを信じて生きてよいのです。