HOME | 説教 | 説教(2017年度) | 神による回心

神による回心

説教要旨(7月2日 朝礼拝より)
ガラテヤの信徒への手紙 1:11-24
牧師 藤盛勇紀

 キリスト者は時々、「それは人間的なものだ」「人間的な考えだ」といった言い方で、人を神から引き離してしまうものを警戒します。私たちは、人間から出たもの、人間が生み出したもの、人間に評価されるものなどに依り頼んで生きるようになってしまいやすいからです。
 パウロはそうした人間的なものを慎重に退けます。「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」と言い、「わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもない」と言います。
 ただ、「人から受けたのでも教えられたのでもなく」と言っても、人を通さないで福音に触れたということではありません。実際には、誰でも必ず人から伝えられ、受け渡され、教えられるということを通っています。パウロ自身も、コリントの信徒への手紙でこう言っています。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」。
 私たちの信仰も、誰かに導かれ教えられた、ということが必ずあります。キリスト信仰は、伝えられ受けることなしには起こりません。神は、私たちを用いて宣べ伝えさせ、私たちを通して語られます。だから私たちも人に伝え、語ります。そして、伝え聞いた人がイエス・キリストに結ばれたなら、伝えてくれた人の名前は消えてしまってよいのです。主イエスの御名こそ私たちの命だからです。
 パウロはここで、まだキリストを知らなかった頃の自分のことについて語っていますが、自分を導いてくれた人のことや、先輩の使徒たちとは無関係だということを強調します。
 かつてのパウロは、徹底的に教会を迫害し撲滅しようとしていました。ところが、思いもしない仕方で生きておられるキリストに出会ってしまいました。そのときパウロは、アナニアという人に導かれ、ダマスコにいた信徒たちの交わりに入れられたのです。しかしここでは、そのことには触れません。キリストに出会った者は、一人ひとりが恵みによってキリストの内に召され、結ばれています。この神の恵みによる回心が、私たちをキリスト者、神の子として生かし立たせるのです。
 私たち一人ひとりが直接キリストに結ばれて、私たちは互いに主にある兄弟姉妹、神の家族、神の教会です。そのように、一人一人がキリストに確かに結びついているなら、人をつまずかせたとか、人につまずかされたなどと言うことも、どちらもおかしなことなのです。あるいは、あの人がこうしてくれない、教会がこれをしてくれない、と言う「くれない族」となって、まるで自分は教会の外、キリストの外にいるかのように不平を漏らすのも、おかしなことです。キリストが生きておられることを忘れてしまうと、人を求め、人間的なものに左右されることになってしまいます。
 しかし、パウロが知ったように、キリストは生きておられます。であるならば、私たちに何が不足なことがあるでしょうか。人を頼みに生きることがあるでしょうか。何を人に要求することがあるでしょうか。私たちは、神ご自身の霊と命を与えられ、祝福の内に入れられたのです。だから私たちは、人のことによらず、神をほめたたえ、神に感謝し、主の御名を讃えています。すでに、そのような者とされています。
 パウロが、自分の深刻な祈り願いが叶わなかった時、生きておられる主の御声を聞きました。「わたしの恵みはあなたに十分である」。主よ、あなたは生きておられます。私は、あなたのために、生かされています。この事実が私たちを生かすのです。